映画 友川カズキ『花々の過失』上映会

今週末16日(土)・17日(日)映画 友川カズキ『花々の過失』の上映会を右岸の羊座で開催します。両日とも午後5時から、料金800円。4月の仙台・青葉神社での友川さんライブに参加された方は、ライブを彷彿させる事でしょう。はじめてご覧になる方も衝撃を受けると思います。ぜひぜひご覧下さい。

(2009年、カラー、日本語―英語字幕、日本・フランス、70分、ヴィンセント・ムーン監督)

友川カズキ 花々の過失 予告編 from La Faute des Fleurs-a portrait o on Vimeo.

http://webneo.org/archives/1172 (neoneo web「うたはたましいの記録である」①友川カズキ)

そして14日(木)深夜1時からの「ナイナイのオールナイトニッポン」ついに友川カズキさん本人が出演されます。『生きでるって言っでみろ!岡村隆史が発見!フォークの神様・友川カズキとは、なにもぬだ?』。

http://kazukitomokawa.com/j/ (友川カズキ公式ウェブサイト)

http://www.allnightnippon.com/nainai/ (ナイナイのオールナイトニッポン通信)

 

新藤兼人監督4

『新藤兼人の映画著作集Ⅰ―殺意と想像―』(1970年、ポーリエ企画発行)より抜粋

プロのきびしさをわたしに最初に思いしらせたのは溝口健二だ。「君は芝居というものをしりません」といわれたとき、すぐにわたしは心で反発した。芝居なぞとは古い!ドラマは人間を書くんだ、芝居を書くんではないと。芝居ということばを、泣いたり、笑ったり、涙をしぼる悲劇劇場をみせたり、役者の芸の積み重ねだったり、と若いわたしは軽蔑していたのだ。そのくせ、涙をしぼる舞台も芸ごとも、なにひとつ深くはきわめていなかったのである。ただ若さの特権で古いものを否定すればいいと思いあがっていたのだ。怖ろしいものがしだいにわたしをおし包んできた。一人では芝居にならない。二人以上でないと人間は語りあえない、三人になれば三角の地点で向き合える。四角になれば四つの角度の葛藤が起きるのではないか。芝居になるかならないかということは、人間同志が語りあえるかあえないかの条件なのである。

“忠臣蔵”のとき、大石内蔵助が、江戸の主君のことを思って夕闇の縁に独り佇みところがシナリオに書いてあった。わたしはその演出のとき美術をやったのだからつきまとって観察していたのだが、シナリオには、庭に咲く白い花(何の花であったか)をみて、大石がじっと佇んでいることが書いてある。花などにたくして情景の描写や心情などを語るのは映画がよくやる手であって、ありふれているともいえるし、また何べん使っても悪くはない手である。そのとき溝口さんは、台本をたたいて腹だたし気にいったものだ”花などは芝居をしません。花の気持ちをどうして撮るのですか”なるほど、花は芝居をしない、しかし花を使って(この場合適当であるかどうかはわからないが)心理描写の手段とするのは映像を言語とする映画の独特の手法であるが、頑としてそれをうけつけないところに溝口健二の面目がある。溝口健二は溝口的演出の自由をもつと同時に窮屈さももたねばなるまい、それが作家の個性だし、作家とはそういう不自由なものである。一人の信頼するシナリオライターをつかまえて、猛々しい調子で”君は頭が悪いからシナリオを書くのをやめ給え”といった溝口健二。また一人の尊敬する役者をつかまえて憎々し気に”君のようなヘタな役者は死に給え”と叫んだ溝口健二。

その時、溝口健二は、力をこめて自分を刺していたのだ。人は地上から消えてしまうと、あとには何も残らない。親しく接した人が面影を伝えるにしても語りつたえでしかない。またその語りつたえた人が地上から姿を消してしまうとただ読み物としての人物像が残るのみであって、紙くさい古びたものになる。そしてやがて何千年もたてばおそらくまったく消滅してしまうだろう。それをわたしも信じる。わたしがここで溝口さんのことにたくさんふれたのは、溝口健二を思うとき、刺す勇気を新たに教えてくれる人だったからである。(終)

トムさん仙台ラストライブ羊座で開催

仙台でのあがた森魚さんのライブ時には音響+伴奏を担当してくださっている渡部知久さんことトムさん。今年の2月から数ヶ月間ハワイ・カウアイ島で生活をし一旦仙台に帰ってきておりますが、来月からは鹿児島県・与論島での新生活をはじめようと計画している様です。旅立つ前にトムさんの送別会を兼ねたライブを開催する事にしました。どなたでも参加可、楽しみましょう!

「Mahalo nui!―フラとウクレレの夕べ―」

◆6月12日(火) 夜6時開場、6時半開演、会場は右岸の羊座、参加費1000円

6月10日(日)映画『小三治』上映会

昨年7月の羊座上映会で、多くのお客様に鑑賞頂いたドキュメンタリー映画『小三治』。

アンコール上映を10日(日)午後2時と5時の2回行う事となりました。昨年見逃した方、もう一度小三治さんに会いたい方、皆さんご参加下さい。お待ちしています。料金800円。

(2009年、104分、監督・康宇政監督、出演・柳家小三治、柳家三三、入船亭扇橋ほか、

語り・梅沢昌代、製作・オフィス・シマ、ヒポコミュニケーションズ)

映画『3.11日常』仙台上映会

(79分、日本、わたなべりんたろう監督)

日時:6月9日(土) 19:00開始(18:30開場) 場所:せんだいメディアテーク7Fスタジオシアター

料金:1000円 *上映終了後監督のトークがあります。

http://311everydayliving.com/  (『3.11日常』オフィシャルサイト)

http://d.hatena.ne.jp/HotFuzz/20111113 (わたなべりんたろう日記)

珈琲の旅 訪問地11

東北の旅を終え、新潟県に入りました珈琲の旅。「哲学の森・珈琲」というブレンドを取り寄せました。ネーミングが面白く即決しましたが、味も深入りローストのしっかりとした風味でとても気に入っています。一杯300円

新藤兼人監督3

『新藤兼人の映画著作集Ⅰ―殺意と想像―』(1970年、ポーリエ企画発行)より抜粋

一人のライターを刺し殺したい。いきいきした強力なライターを、ただひと突きで刺し殺したい、わたしはカッカッと燃える熱気でからだのうずきを感じるときがある。なんのために仕事をするか、まずは食わねばならぬ、それはしれたことだ、食うためには努力はできるが熱狂はできない、熱狂しなければシナリオは刺せない、わたしは溝口健二に刺されたとき、生活の不安でまず足がふるえたが、ほんとうは仕事への怖れでで全身がふるえた。それまでシナリオなんて仕事はイキで優雅な字を書くショウバイと心得ていた。荒々しく歯を鳴らしてわたりあい、たおしあうものとはしらなかったのだ。(中略)溝口健二のように、刺すか刺されるか、斬るか斬られるか、つねに対決の身がまえを前面にだしていないすぐれた才能が消耗し、精神がちかんしたとき、しぜん勝負師の気魂は失われて、人間はまるくなり、刺したりする暴力などには真に嫌悪をおぼえる善人になってしまうのであるが、そのときその人間の作家は死んでいるのである。(中略)刺すか刺されるかでは、溝口健二はつねに自分自身を刺しつづけて生きてきた。一年ばかりを準備をして、配役もやったときめて、いざかかろうというときに「やめます」といって、門をとざして出てこようとしなかったこともある。ながい人生の、たくさんの仕事だから、一本ぐらい気をぬいてもいいではないか、ということが溝口さんには通用しない、徹底してまず自分に正直だった。人間はながい旅路を生きる、ながい時間があるようだが、仕事の時間というものはごく少い、とわたしに語った人がいる。八ヶ岳山麓の考古学者で、一生を投げうって縄文土器を掘り出した人だ。八十になるまで五十年も掘りつづけたが、仕事の時間はまことに少なかったと笑って語る人であった。

シナリオを趣味で書いている人がいる。それはいいことだとわたしはいっている。しかしほんとうはさんせいしない。趣味でやればいつでも退ける。他人を傷つけることはないし、なにより自分が傷つかない。こういう人のシナリオは刺したり刺されたりはしないから安全である。なにごともフタマタということはもっとも卑怯だ。卑怯な精神ではシナリオは書けない。書くことはたたかいである。たたかいに二つの道はない。ただ相手をたおすのみである。だれでも一生に一本はすぐれたシナリオを書く条件がある。それは自分という天下にたったひとりの人間をよく知っているから自分を書けばいいのである。しかしそれでも趣味では書けない。余技ではいけない。完全にシナリオという世界に籍を移さなねば書けない。(つづく)

新藤兼人監督2

『新藤兼人の映画著作集Ⅰ―殺意と想像―』(1970年、ポーリエ企画発行)より抜粋

溝口監督が、『浪速悲歌』『祇園の姉妹』につづいて、新興キネマ(いまの東映大泉撮影所)で『愛怨狭』を撮ったのは、昭和13年のことである。そのときわたしは美術の助手をしていてその仕事についた。美術助手をしながらものにならないシナリオをせっせと書いていたのである。新興キネマは三流の映画会社で、お涙もののメロドラマばかり作っていたので、溝口監督のセットの仕事ぶりをみて、身のひきしまるような思いがした。午めしになっても溝口監督はセットから出てこない、監督椅子にかけたままカレーライスを食べている姿を、しばしばわたしはみている。この人に師事して仕事をおぼえたいとわたしは思って、京都に帰った溝口さんを頼って会社をやめて東京を離れた。新興キネマ、大映映画、日活が合併して大映になるときで、わたしは思いきって京都へ行った。

溝口さんという人は、自分の仕事のためならあらゆるものを一度は口に入れて味をみてみる人である。溝口さんは一人前のライターでも扱うような態度でわたしを迎えてくれた。どの新人にも最初はそうなのであるが、わたしは溝口さんの知らない温かい一面を見直すようなつもりで、京都へ居を移したことがよかったとよろこんだ。

早速シナリオ一本を書いて溝口さんの所へもっていった。その頃溝口さんの家は御室仁和寺の山門の前にあって、生垣に囲まれた手ごろな二階家であった。あたりは品のいい住宅地で関西好みの石崖と植込みのしずかな一郭であった。

シナリオをさし出すと、溝口さんはうれしそうに顔を崩され、そうかね、書いたかね、読ませてもらいましょう、あしたきてくれ給え、などと上機嫌で、散歩に仁和寺の裏山へ行ってみよう、と誘ってもらったりした。

翌日、行くと座敷へ女中さんに通された。間もなく溝口さんがわたしのシナリオをもってこられて、ぽい、と投げ「これは君、新藤君、シナリオじゃないね、すじ書きですよ」といわれた。

これは、わたしが書いた『愛妻物語』というシナリオの一場面である。その日わたしは、どういう風に溝口宅を辞して、どういう風に下鴨宮崎町のわたしの家へ帰ったか、ぜんぜんおぼえていない。気もそぞろであった。まさに一刺し刺し貫かれたのである。生活と人生を賭けて京都へ移ったのである。その頼みとする相手から、君はダメだ、とやられてしまったのだ。

溝口さんには手加減というものがなかった。いまでもわたしが懐しくその心情にひたりたいと思うのは、そのきびしさの見事な構えである。東京から頼ってきた新人のシナリオ・ライターだから、手加減して批評をしようなぞというなまぬるさはないのだ。むしろわたしのシナリオをみて腹が立ったのかも知れない。そのとき、あまりのショックにわたしが自殺したとしても、溝口健二はびくともしなかったにちがいない。そのときのわたしも手加減されていたら、きょうまで生きてきたかどうかは疑問である。

溝口さんが子役に演技をつけるときもそうである。子役であろうと対等なのである。それは溝口健二が全身でぶつかってゆくところの一個の孤立した存在なのである。新人であろうと子役であろうと、抜身を構えた真剣勝負の状態になる、相手を刺すか刺されるかが待っている、溝口監督に刺し殺されてダメになった人は実に多い。

仕事は、人間を殺すのである。新しい一つの仕事はシナリオを刺すのだ。既成を一つ刺し殺したとき一つの仕事が生まれるのだ。一人のシナリオ・ライターは、だれかを確実に刺し殺して生まれ、いつかだれかに刺し殺されるだろう。シナリオとシナリオが仲よく同居することはない、たおすかたおされるかである。わたしは悲壮がっているだろうか、そんなことはない、わたしは過去のでこぼこの長い道を歩いた経験でそのことをよく知っている。(続く)