映画監督 崔洋一さん講演会

昨年11月に引き続き、崔洋一監督をお招きして講演会を開催いたします。

・・・・・・・・・・・せんだい映画村緊急講座・・・・・・・・・・・・・

6/3(土)せんだいメディアテーク・スタジオシアター

◆第1部 10:00 上映作品「月はどっちにでている」

月はどっちにでている

1993年/95分/監督・脚本:崔洋一、脚本:鄭義信、原作:梁石日『タクシー狂操曲』、製作:李鳳宇、青木勝彦、出演:岸谷五朗、ルビー・モレノ、絵沢萌子、小木茂光、遠藤憲一、國村隼、萩原聖人、内藤陳ほか

多国籍都市・東京。在日コリアンのタクシードライバー忠男は、朝鮮学校の同級生だった社長や、風変わりな同僚達といい加減な毎日を送っている。母の経営するフィリピン・パブのホステス送迎を日課にしている彼はある日、新顔のコニーに出会う。妙な大阪弁で生意気な口をきくコニーに、なぜか魅かれた忠男は、留守の間に彼女の部屋に引っ越してしまう。おかしくて、切ないふたりの恋は、果たしてどんな結末を迎えるのか…。1993年度キネマ旬報ベストテン第一位ほか受賞多数。90年代を代表する日本映画史に残る名作。

◆上映終了後 11:50 講演「映画は誰のものか2」 

日本映画監督協会理事長 崔 洋一 監督

崔洋一監督写真

◆第2部 13:15 鈴木清順☓荒戸源次郎追悼上映会

上映作品「ツィゴイネルワイゼン」

ツィゴイネルワイゼン

時間と空間、現実と幻想の間を映像が彷徨う 1980年度キネマ旬報ベストテン第一位

1980年/145分/製作:荒戸源次郎、監督:鈴木清順、脚本:田中陽造、

美術:木村威夫、撮影:永塚一栄、音楽:河内紀、

出演:原田芳雄、大楠道代、大谷直子、藤田敏八

◆上映終了後、崔 洋一監督シネマトーク 「清順さんのこと、荒戸さんのこと」

料金:1部につき1,300円 1部・2部通し券2,000円 映画村会員通し券1,800円
(チケット) ・メディアテーク1Fショップ「KANEIRI Museum Shop 6」
・「桜井薬局セントラルホール」にて発売しています。
*電話予約も受け付けます。(070‐5323‐1939)

主催・問い合せ:せんだい映画村 070‐5326‐1974

長編記録映画「歌舞伎役者 片岡仁左衛門」上映会

仁左衛門1[1]

・・・・・・・・映画監督 羽田澄子特集第二弾・・・・・・・

人間国宝 十三代目・片岡仁左衛門(1903―1994年)最晩年の7年間に迫るドキュメンタリー全六部 10時間46分の超大作

全六部ご覧頂ける、またとない機会です。お見逃しになりません様、ぜひともご参加下さい。5/3(祝)の第一部・第二部は残り席わずかとなりました。

5/3(祝) 第一部 午前10時から  第二部 午後12時30分から上映

12(金) 第三部 午前10時から  第四部 午後12時30分から上映

16(火) 第五部 午前10時から  第六部 午後12時00分から上映

会場:茶室 緑水庵 仙台市青葉区片平一丁目2番5号

http://www.city.sendai.jp/aoba-koen-somu/aobaku/koen/ryokusuian.html

入場料 1作品につき 前売券1000円 当日券1300円 全六部観賞券 5000円   各回 限定25名につきご予約下さい。

主催・問い合せ:右岸の羊座シネマテーク 070-5326-1974

第一部「若鮎の巻」(102分)                        1987年上方若手歌舞伎俳優の集い「若鮎の会」の自主公演にあたって、舞台監修の 仁左衛門演技指導の記録。
第二部「人と芸の巻 上」(94分)
84歳から88歳までの折々の舞台、芸談、生活を記録したもの。
第三部「人と芸の巻 中」(101分)
1988年歌舞伎座百年の記念公演「菅原伝授手習鑑」の舞台稽古。
第四部「人と芸の巻 下」(105分)                      「芸談をきく会」における仁左衛門の貴重な芸談や、長男・我當、次男・秀太郎、 三男・孝夫(後の十五代目仁左衛門)、五女・静香、妻・喜代子のインタビュー。
第五部「孫右衛門の巻」(86分)
1989年歌舞伎座での『恋飛脚大和往来』の稽古と舞台の様子を伝える。
第六部「登仙の巻」(158分)                         88歳から90歳亡くなるまでの舞台、生活の記録。最後の舞台となった『八陣守護城』の佐藤正清役の演技を伝える。

道明寺[1]

十三代目 片岡 仁左衛門 本名:片岡千代之助(かたおか ちよのすけ)

1903年、東京に生まれる。十一代目片岡仁左衛門の養子に入る。1905年、京都南座で初舞台。1912年以降は片岡少年劇で活躍した。1924年、歌舞伎座で四代目片岡我當を襲名。この前後から東京を中心に活動し、九代目團十郎の芸系を受継ぐ七代目市川中車などについて積極的に学ぶ。1932年、松竹・新宿第一劇で青年歌舞伎を結成し座頭をつとめる。青年歌舞伎の活動は足掛け七年にわたった。1939年、上方歌舞伎へ移籍。1951年には亡父の後を継ぎ片岡仁左衛門を襲名するが、1960年代に入ってからの関西歌舞伎の凋落いちじるしく、二代目中村鴈治郎、三代目實川延若らとともに、自主公演の集まり「七人の会」をたちあげる。このような上方歌舞伎の現状を憂い、伝統の灯火を守ることを決意し、「仁左衛門歌舞伎」と称し1962年以降五回にわたって自主公演を決行。関西歌舞伎界に与えた影響はきわめて大きい。一方では高校生を対象とする歌舞伎教室を開催したり、上方の若手役者による「若鮎の会」を主宰して若手俳優の指導など人材育成に努めた。1966年、歌舞伎座でつとめた『廓文章』(吉田屋)の伊左衛門が好劇家から高い評価を受け、それまでどちらかといえば独特な持味はあるものの、手堅いだけといわれていた演技に変化がおとずれる。七十代の後半から八十代に至って飛躍的に芸が深化し、一躍、名優の列に加えられることになった。最晩年の滋味あふれる品格高い演技を賞賛する者は今でも少なくない。1972年、重要無形文化財保持者に各個認定(人間国宝)、日本芸術院賞受賞。1981年、国立劇場の『菅原伝授手習鑑』の菅丞相は「神品」とまで絶賛される。このころから緑内障のために徐々に視力が衰え、最晩年には失明状態に陥ったが、生涯舞台に立ちつづけた。1981年、日本芸術院会員。1992年、文化功労者。1993年12月の京都南座顔見世における『八陣守護城・御座船の段』の佐藤正清が最後の舞台となり、1994年3月26日、京都で死去。(ウィキペディアから抜粋)